星組梅芸メインホール公演`ロミオとジュリエット’観劇

昨日は星組公演「ロミオとジュリエット」を梅田芸術劇場メインホールで観てきました。
宝塚歌劇の公演の観劇は久しぶりとなります。豪雨に襲われた夕刻に電車で梅田に向かったため、何となく劇場に着くまでは気乗りしていませんでした。ところが、予期に反するほど素晴らしい舞台で感動しました。梅芸には宝塚大劇場のような自前のオケがないのと、音響効果が今一つなので、少々高値でオークションを利用してチケットを購入したのですが(1階11列目ほぼセンターです)、その甲斐あったと思っています。寧ろあと数回観劇したいと思ったくらいです。
以前から私の観劇レポは独断と偏見だらけですが、久しぶりということもあって今回も長文になってしまいました。
(注:ここからはかなり内容を具体的に紹介しますので、ネタばれを嫌がる方は、私の下手な解説とは言え、読まないことをお勧めします。)
この原作はシェイクスピアの4大悲劇には含まれていない。その理由は、Wikipediaに拠れば、この作品では登場人物の性格よりも周囲の状況や偶然などの「運命」と呼ぶべきものが、両者や周囲を悲劇的結末へと導いていくためだと解説されている。その意味では、この作品では悲劇的要素の内に喜劇的要素も加味されていると言えるだろう。
私はこの舞台を観る前にざっと新潮文庫版の原作を再読しておいたのだが、この原作においては設定上、不可解な箇所が多かった。ジュリエットが14歳とまだ非常に若いところとか、ロミオとジュリエットとが教会で結婚式を挙げておきながら、周囲に全く知られていないところとかが例として挙げられる。
演出家のイケコ氏はこの点に宝塚的な独特な解釈と変更を加えて、ミュージカル的に優れた作品にすることに成功している。
何と言っても面白いのは、「エリザベート」のトートのような死(死神)と愛(愛の神)を設定し、死と愛の2人のダンサーをナレーターのように配置させた点である。
またジュリエットの従兄弟のティボルトがジュリエットに思慕を抱いていたとするところや、ジュリエットの母親とティボルトとが不義の関係で結ばれているかのように見せた設定が面白い。このような解釈をしたために、登場人物の人間関係がより濃密となり、分かりやすくなった。登場人物一人一人に独白的な歌を歌わせるのは、その真情がよくわかって効果的だったと思う。
ただ難点を挙げれば、結婚・恋愛等に関する台詞や歌詞が軽すぎる。台詞で結婚に拘りすぎる点とか女の賞味期限に関する話などは、キムシン(演出家の木村信司)的な軽さを感じてしまった。シェークスピアの原作は心理描写がメインで、結婚恋愛に対するここまでの軽さはない。宝塚的とはいえ、これで本当にいいのだろうかと疑問を抱いたのは事実である。
また、ロミオとジュリエットが結婚したという事実がモンタギュー家とキャピュレット家の双方に知られたことも、その後の展開を分かりやすくさせている。両家の昔からの対立は意味ないものであり、仲直りすることを願って死んだマーキューシオの台詞は感動的ですらあったし(ただそのために何故ロミオがその後ティボルトを刺したかの疑問が生じたが)、パリスがジュリエットが覚醒する前にロミオに刺された原作上の事実を削除し、ロミオとジュリエットの2人のみを死後に天国で再会させてデュエットダンスを踊らせる結末も見事である。
イケコ氏の舞台作りは相変わらず巧みで、舞台まわしも上手い。衣装も豪華で特に仮面舞踏会での展開は秀逸である。神父からロミオへの伝言を頼まれた使いに対して、毒薬を売る薬屋に化けた死(死神)にロミオの居場所を偽って言わせるところなど、細部に至るまで凝りに凝っている。特に起承転結の構成が非常に巧みである。エリザ的なワンパターンのような気がしないでもないが、イケコ氏の代表作の一つになるような気がする。
出演者に関しての感想では、主演のちえ&ねねのコンビが特に素晴らしい。最後の有名な2人の自殺する場面は、美しくて絵画的ですらある。
ちえさんは「若きウェルテルの悩み」の主人公のウェルテルのように、純情で一途な男性を熱演した。従来に魅せられてきた、「Hallelujah GO! GO!」のディスコのダンサーとか「スカピン」で演じた悪役のショーヴランとはひと味異なる、演技面での成長振りが伺えた。
ちえさんはとうこさんの役作りの完璧さを見習ったのではないだろうか。舞台を見続けているとそれなりに役者の成長振りは伺えるが、意外と見えないところがあるものである。少し舞台から離れて久しぶりに観てみると、演技といい歌といい、その成長振りに驚かされた。
ねねは初々しくて可憐である。またれみが浅薄なオバさんである乳母役を歌・演技ともに上手く演じていた。月組時代のれみねね時代から観てきた私としては、この2人の並びの設定には隔世の感がある。れみも演技面での進歩が著しい。
他に特筆すべきことは鶴美舞夕のバトンさばきである。これは見事で、観衆の拍手喝采を浴びていた。
ただ全体としては、とことん歌ばかりのミュージカルのため、もう少し歌に頑張って欲しい(特に娘役)気がした。またちえさんのダンスをもっとみたかったな、というのが挙げられる。
この舞台は是非大劇場の本公演でやって欲しい。役者を固めれば、歴史に残る名作になるのではないだろうか。
そう考えると、この舞台を誰の主演で観たいかなどと余計なことを考えてしまった。とうあすやあさかなで観たかったなという想いがある。それは、宝塚ではとりわけビジュアルが重視されるのは事実であるが、ミュージカルである以上、歌での秀逸が特に望まれるからだ。
私は、先日楽を迎えた月組版スカピンを観劇しなかった。その理由は、星組の初演が素晴らしく3回も観劇したため、そのイメージを壊したくなかったためである。
ただ主演のきりやんの演技は素晴らしかったようである。ミーマイ(博多座公演)のときも観に行けなかったが、きりやんは技術的に素晴らしい。一人だけ卓絶した演技・歌・ダンスを披露するが、何分共演者特にコンビを組む娘役に恵まれない嫌いがある。舞台というのは共演者に恵まれてこそ、優れた作品に仕上げることができるものである。
私が以前主治医をしていた、月組OGの歌の専科の先生(数年前お亡くなりになったが)の言葉が思い起こされる。当時その先生は花組のオサの主演する舞台しか観には行かれなかった。何度も再演されている「ベルばら」などは、「私は鳳さんの頃から観ているのでもう結構です」と仰っていた。
優れた舞台を観てしまうと、若手の実力のない生徒達の舞台などには余り興味を抱かれなかったのかもしれない。
ただ私は今回改めて宝塚歌劇の舞台の魅力を再認識したような気がする。月組版スカピンを観劇しなかったことも後悔している。以前のように全組公演という訳にはいかないが、これからも題目を絞って観劇を続けたいものである。
観劇は心の清涼剤のようなものであり、観劇はアンチエイジングに欠かせないものだと私は勝手に思っている(苦笑)。
テーマ : スミレ話@宝塚歌劇団
ジャンル : 学問・文化・芸術